「悪いヤツほど出世する」。読んだのは結構前ですが面白かったので、その時自分が気になった部分などをメモするためのエントリです

- 作者:ジェフリー・フェファー
- 発売日: 2016/06/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
なかなか過激なタイトルですが、一考に値するような内容が書かれています。
正直、納得せざるを得ない部分も多くあります。
本の紹介は以下のように書かれています。
ジョブズもゲイツもウェルチも、「いい人」ではなかった! リーダーは謙虚であれ、誠実であれ、そして部下への思いやりを持て。 リーダーシップに関する教えでは、よくこうした美しい主張が説かれ、一般的にも優れたリーダーはこのような資質を備えるべきだと思われているでしょう。 しかし、現実のデータを分析すると、実は多くの成功しているリーダーはこうした資質を備えていません。 スタンフォード大学ビジネススクールの教授が、巷にはびこる「リーダー論」のウソを暴き、 組織の目標を達成して職場環境をよくするためには何が効果的なのか、 また悪しき上司の犠牲にならないためにはどうしたらよいのかを、豊富なデータと実例から解き明かします。
章立ては以下のようになっています。
- 序章: リーダー教育は、こうして失敗した
- 第1章: 「リーダー神話」は、百害あって一利なし
- 第2章: 謙虚 ― そもそも控えめなリーダーはいるのか?
- 第3章: 自分らしさ ― 「本物のリーダー」への過信と誤解
- 第4章: 誠実 ― リーダーは真実を語るべきか?(そして語っているか?)
- 第5章: 信頼 ― 上司を信じてよいものか
- 第6章: 思いやり ― リーダーは最後に食べる?
- 第7章: 自分の身は自分で守れ
- 第8章: リーダー神話を捨て、真実に耐える
自分自身も リーダーシップ研修 とよばれるようなものを受講せざるを得ない時があるのですが、
その研修を受けた時に感じた違和感を補足してくれるような感じの内容になっています。
もしも気になって内容読もうと思われる方は先のリンクのものではなく、現在は文庫本が出ているので、そっちを買ったほうが割安です。
本書籍内で、私が気になった部分の抜粋を一部メモしておきます。(括弧書きの部分はわかりやすくするため、私が付け足しています)
リーダーシップ教育産業は失敗した、ということだ。彼らの情熱は認めるとしても、効果があったという証拠はあまりに乏しい。
それどころか数々のプログラムは、世間が思う以上に無益であり、むしろ有害である。(リーダーシップ教育産業の)大きな問題点として一つ考えられるのは、今日のリーダーシップ開発や研修で、英雄的なリーダーや卓越した企業のか輝かしいサクセスストーリーが頻繁に受講者に語られることだ。
その手の物語は、一時的に気分を高揚させ士気を高める効果があっても、現実の職場には活かせないことが多い。自己利益の追求が当人のためだけではなく広く社会に資することは、アダム・スミスの時代から現代にいたるまで、あらゆる経済理論が主張するところである。
それ以外の経済制度、たとえば利他的で慈愛あふれる父親のような人物に生産や配分や雇用を委ねるといったやり方は、控えめに言っても危険が多い。リーダーシップという概念は、組織の現実に比して不釣り合いに高い地位と重要性を与えられることになった。
社会がリーダーシップをひどく重視するようになった結果、この概念は学問的に裏付けのないような光輝を帯びるようになったのである人材関連で45年の実績を誇るDDIは、広範な調査に基づく調査を毎年発表しているが・・・リーダーシップ開発の成果が上がっている証拠は見当たらない という。・・・白書によれば、回答者の半分を上回る55%が上司を理由に会社を辞めたいと答えており、39%が実際に辞めているのである。
リーダーの行動と職場の結果の間に強い因果関係があるとの前提に立っているにもかかわらず、実際にリーダーは(リーダーシップ研修で)教わったことを実行しているのかは、ほとんど実態調査が行われていない。
大量のプログラムやセミナーを提供して助言をするだけで、実践されたかどうか、実態が改善されたかどうか、改善されていないとすればそれはなぜか、といったことを突き止める努力もしていない。
彼らは、リーダーはこうあるべきだとか、ものごとはこうでなければならないといった規範的なことにこだわりすぎており、実態はどうなっていて、それはなぜか、という基本的な問いを発していないのである。
リーダーと職場の実態が計測されていない限り、またリーダーがが自らの行動の改善とその結果に責任を問われない限り、状況は変わらないだろう。リーダーシップ教育産業には「参入障壁」がまったくない
リーダーシップ・コーチングやコンサルティングで花形になるのに、知識は無用なのである。・・・いまや彼らの目的は、悩めるリーダーや職場の解決策として、目にも耳にも心地よいエンターテイメントを提供することなのである。
(リーダーシップ研修を受講しても)職場の状況がいっこうに改善されないのも無理はない。リーダーシップ教育の直接の目的であるはずの職場の満足度を計測せずに、プログラム参加者の、つまり「お客さま」の満足度を計測しているのである。
プログラムにご満足していただけましたか、楽しんでいただけましたか、と。まちがったものを計測するのは、何も計測しないより悪いことが多い。なぜなら計測したものに囚われるようになるからだ。
どれだけ多くの人が楽しんだかを計測し、それがプログラム(あるいは本、講演、セミナー)の成功の指標になるとすれば、当然ながら参加者をより楽しく、より心地よくさせようということになる。
端的に言って、プログラムが楽しいかどうかを計測していたら、参加者はより楽しくはなるだろうが、態度や行動が変化することは期待できない。企業文化を大切にせよとか、人材こそが最重要資産である、といったご高説はよく耳にするが、実際の行動が伴われるのは稀だ。
何かの病気をたまたまうまく治せたからといって、専門的な教育を受けていない人がその治療法を人々に宣伝するなどあり得ない。
だがこのあり得ないことが、リーダーシップの分野では起きている。リーダーとして華々しい成功を収めたとか英雄的な行為をしたといったエピソードの持ち主なら、誰でも堂々とリーダーシップを教えることができる。職場をよりよくし、部下の意欲や満足度や生産性を高めたいと本気で思っているなら、あるいはリーダーとしてのクオリティを高め、キャリアアップをめざしたいなら、感動体験に用はない。
必要なのは、事実であり、データであり、アイデアだ。
激励や応援はスポーツの試合には役に立っても職場やキャリアの問題解決にはならない。人間はうまくいったことだけを覚えていて、自分にとって都合の悪いことは忘れがちである。
「失敗から学べ」という忠告は、さかんにいわれるがほとんど実行されないものの一つと言ってよい。
ある経営学の論文では、「自然界においても実業界においても、失敗は最終的な成功につながると言ってよい。生態系では、老化した生命体が死ぬことによって、活発な成長がもたらされる。ビジネスの世界では、非効率な活動を排除することが富の想像につながる」と指摘されている。
ジャーカー・デンレルが行なった調査によると、卓越したリーダーのスキルとパフォーマンスの相関関係は、多くの場合にきわめて弱いという。
これは卓越したリーダーの業績は、幸運や偶発的な要素に左右される部分が大きいからだ。安定して堅実なパフォーマンスを示すが抜きん出て目立つわけでもないという人たちからこそ、学べることが多いとデンレルは主張する。
なぜならこうした人たちのパフォーマンスは、偶然の産物ではなく、ほんとうの能力や行動の結果である可能性が高いからだ。だから、こうした人たちの行動を分析するほうが、よほど役に立つという。消費者が見てくれだけではなく、高品質で安全で信頼性の高い自動車を求めて初めて、自動車メーカーはその声に応える。・・・リーダーシップ教育の受け手が、感動を求めるのをやめ、信頼できるデータや知見を求めるようになって初めて、教育の質は上がり、職場をよりよくできるリーダーが育つようになるだろう。
あなたがリーダーに選ばれたいなら、最低でも、選ぶ側があなたの存在に気づいていなければならない。
記憶に残らないような人間は絶対に選ばれない。覚えていない人をどうして選べるだろうか。マーケティング戦略で単純接触効果が重要視されるのはこのためだ。
人間は、見慣れているもの、よく知っているもの、記憶に残るものを選ぶのであり、これが広告効果を高めるイロハである。リーダーシップについても同じことが言える。人に知られていること、ブランドを確立することが、要するに目立つことは役に立つのである。自分の気持ちに忠実に振舞うことは、むしろリーダーが最もやってはならないことの一つである。リーダーはその状況で求められる通りに、周囲の人が期待する通りに、ふるまわなければならない。
社会学者のメルヴィン・コーンとカルミ・スクーラーは、・・・調査を行なった結果、性格は職業選択に影響を及ぼすが、いったんある職業を選んだら、今度は性格が職業や仕事から影響を受けることが確かめられた。
性格のように根本的なものまで職業から影響を受けるとなれば、真の自分などというものは意味をなさないことになる。要は環境に応じて自己は変わるということだ。